2011年8月24日水曜日

2011/8/23 山形

朝ゆっくり起きてメールのチェックをする。
16時の電車で東京を離れる。

東京は本当に巨大な街だと感じた、そして人々はまじめに生活をしている。

山形に向かう途中の風景は本当に奇麗だ、特に峠駅あたりの風景はいつ見ても別格です。

松田氏とhsgawa氏が向かいに来てくれる。
有り難う本当にありがとう。

トンカツを食う。みそ汁が身にしみた。
色々話す、僕が一方的に話した気がした。すまん。


家に着き父と母と話す。

父は悔しそうにしていた。

父と母は退職後どっかに旅行に行きたいらしい。
母は、ワイキキビーチが良いと言っていたが、
父は、んなとこ行ってもやる事が無いと言っていた。メキシコにもう一度行きたいらしい。
まあ僕が仕事をしてバリ島とスマトラ島のチケットをプレゼントしてくれるだろう
と父は言っていた、それも今までの御礼としての1つの僕の義務だと思った。


そして、少し思い出話を家族でする。
小学生の頃に家族で旅行で行った(母以外)
その時、始めシンガポールに行ったのだが、父が何となく面白くないと言い出し
マレーシアのどっかの島(現地の船で)に行く、なぜかリゾート地ではなくその島の反対側にある小さい宿で過ごす。外人さんもいなかった。毎朝イスラム教徒の人がお祈りしていた。

なぜあの奇麗な街ではなく、よく分からん所に言ったのだろう。
しかも海に入るわけでもなく山を登る。原住民の村を通り反対側のリゾート地まで行き、コーラを飲んでホテルに帰る。なぜあんな事したのかを聞いてみると、

父曰く『始めからあんな所に泊まってゼータクすると人間良くなくなる、大切なのは本当の海外を見せたかった。必死に英語と日本語を勉強する宿の青年や、原住民の暮らし、それとそこにホテルを建てた海外の人々との関係を見せたかった。』

と、少し良いこと言っている風だが、単に父がそこに行きたかっただけだな。
だが、今なら理解出来る。

ちなみに、帰る時に空港で弟は喘息になり医務室に行く、僕と兄は搭乗口で置き去りになる。結局弟はギリギリの状態で日本に帰国する。

その後、僕が中学生の頃、父が熱帯雨林とオランウータンが見たいと言い出しまたもやカリマンタン島へ行く事になる。

海外旅行=リゾート、海、買い物
では無く
海外旅行=山、冒険、未開の地
とN嶌家ではなっている。
父曰く『本当は母を連れてグアムとかでも良かった、でもそれでは海外に行く必要が無い、やっぱり折角だし山とか・・・。』

単純に自分が行きたく無いだけだったらしい、父らしい。

結局、山奥の宿で泊まり、山を登ったり降りたりする
「野生のオランウータンが見たい」と父が言い出し、毎朝5時に起き7時まで森を観測するはめになる。ちなみに野生のオランウータンは中々見れないらしい。
3日目に無事に見れて父喜ぶ。ガイドの人の興奮ぐあいがマジで凄かった。

で帰る日にまたよく分からん近くの島に行く。
兄がジェットスキーなる物をしてみたかったらしい。
弟にまたもや悲劇が襲いかかる、魚に噛まれ足が腫れる、父と弟は病院に行くために島から本当の方へ行く。

島に兄と僕は置き去り。

弟を病院に連れて行ったら戻ってくるから3時間この島に居ろと言われる。
兄はジェットスキーをしたかったらしく、父が居ないにもかかわらず強攻策に出る。
で船で島が見えなくなるとこまで行きジェットスキーをする。

海の上に兄と自分と現地の人だけで流石に死ぬかと思った。
正直、兄が楽しんでいるのが理解出来なかった。

父戻ってくる、無事に日本に帰る。

母『子供を置き去りにするのは理解出来ない』
父『でも、あそこは現地の人が行くリゾート地で安全なとこだから大丈夫だった。現に大丈夫だったし。』

ちなみに一年後近くの領域に海賊が出たらしい。

んなことを家族で話した。
父の血を完璧にひいたようだ。


兄は海外に行こうとするが。
弟は絶対に行きたく無いと言っている。まあ、100%病院送りになれば嫌だろう。

父は退職後本気で世界を回る気でいそうで怖い。

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